canadeN さんの帰宅ログ


[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示

  • 会議中でした。長時間ゆれましたが、そこまでの揺れではなく、どこかで大きな地震があったのだと思いました。東北のほうで地震があったとだけ、その場で知りました。
  • 16:31 嫁より電話あり(会社電話)何度も電話かけたけれど、繋がらず、ようやく繋がったとのこと。嫁も無事、子供も保育園にて無事と分かったので一安心。
  • 16:36 会社上司より安否確認の電話あり。このとき、京都駅にいました。
  • 17:00 ぐらいに京都駅から新幹線に乗ろうと、京都駅に行きましたが、新幹線は止まっており、その日は、運休と分かったので、一緒に出張していた同僚の家に泊めてもらうことにしました。
  • エクスプレス予約は、翌日からは予約可能だったので、18時ごろに、始発の次の6時03分発の新幹線を予約。その後、すぐに予約は埋まっていたので、よいタイミングで予約できました。
  • 嫁とは電話は繋がらなかったのですが、twitter経由で互いの行動は把握。
  • 20時ごろに、五反田から葛飾区立石の保育園目指して歩き始めたみたいで、僕は、22時ごろにそれをtwitterで見ました。(iPhoneの電池切れのため)
  • その後、twitterを常にチェックしながら、嫁とはやりとりをして、24時頃電話も繋がって、もうすぐ保育園につくという声が聞けました。
  • 25時ぐらいに自宅について、水槽の水がこぼれている意外は被害なしとの連絡をtwitterで確認をして、僕も寝ました。で4時間ほど寝て、始発の次の6時03分の、のぞみに乗りました。9割ぐらいの乗車率だったように思います。
  • 始発待ちの人で駅はにぎわっていました。
  • 08:30頃品川着 品川から泉岳寺の駅まで、たくさんの人が歩いており、突然流れが止まる箇所がありました。500メートルぐらい列になっていたと思います。
  • 泉岳寺 これは、駄目だと思い、もう一駅歩こうと思うと、別の乗り口は誰も並んでいませんでした。駄目もとで、そこに行くと、すんなり駅に入ることができ、改札で30分ぐらいまつと、電車に乗れました。進行方向と逆の乗り口には、誰も並んでいなかったのです。
  • 大阪の友人宅から考えれば、5時間程度で帰宅。
  • 駅の自転車置き場には、無数の自転車が残っていたので、まだ帰れていない人が多く、自分は運がよかったと思いました。
  • 出張中で、家族と離れると辛いというのもありましたが、第一報時に家族の無事は分かっており、Twitter経由で、家族の行動も見えていたので、それほど心配ではありませんでした。嫁は、ほとんど、休眠アカウントだったのですが、twitter使ってくれてよかったです。
  • iPhoneの電池切れは、いろいろ致命的になりそうなので、1日分のバックアップは常備していると安心だと思いました。
  • 子供が保育園にいて、離れ離れになっている親は、やはり、なんとしても、家に歩いて帰ることになるかと思います。職住近接もありだし、保育園と職場の近接も大事かもしれません。
  • 嫁は徒歩4〜5時間の距離を歩く覚悟で出発し、途中浅草線が走りはじめたので、浅草橋まではいけたみたいです。
  • 保育園では、先生全員が残っていて、待っていたくれたそうです。感謝です。

ぼくにとって、このcanadeN さんのログにはいくつかとても興味深いポイントがありまして。もちろんひとつは遠方に出張していた先で地震に遭った、という点。「大阪の友人宅から考えれば、5時間程度で帰宅。」とあるように、都内のオフィスで一晩過ごした方と大して変わらない時間で帰っているのは驚きです。新幹線の強さを感じました。

もうひとつは、泉岳寺での「進行方向と逆の乗り口には、誰も並んでいなかったのです」というエピソード。当時を思い返すと、このくだりはすごく生々しいです。こういうささいだけど決定的な出来事があのとき、たくさんあったんだろうな、と思いました。

そしていちばんのポイントは、実はこのcanadeN さんが、ぼくが会社員だった頃の後輩であるということ。たくさんの方々から帰宅ログを送ってもらいましたが、やはり読んでいる時に顔が思い浮かぶ相手の文章は、また違う感慨があります。

ほんとうに無事で何より!