ニコ さんの帰宅ログ


[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示

葛西臨海水族園で被災→葛西臨海公園駅(15時)→葛西駅→西葛西→東西線沿いずっと→日本橋から折れてJR東京駅へ18時着、トイレ、休憩)※ここまでずっと徒歩→(21時半)大手町より半蔵門線三越前→銀座線で虎ノ門→会社、泊(22時半)、丸ノ内線霞が関(翌9時)→東京駅(9時40分発)東海道線で二宮着(11時50分)自宅までチャリ(12時着)でした。

女性のトイレが大変困ります、東京駅では30分くらい並んだでしょうか、行きたくなる前に、行けるときに行っておいて正解でした。

  • 葛西臨海水族館で地震に遭う
  • 午後お休みをして葛西臨海公園に遊びに行っていた。
  • 葛西臨海水族園にマグロを見に行っていた。切り身の魚がたくさん水槽に投げ込まれ、びゅんびゅんとマグロ達が食いつく。食事が終わり・・・ってところで揺れた。ものすごい揺れた。
  • 私はとにかく焦って、揺れている最中に家族に「無事!」とだけメールを送り友人にも「今すぐ実家にメールを送って」と促した。
  • 揺れながらも階段を上るが、手すりにつかまってもぐわんぐわん揺れ階段上にいる幼稚園児達は、おりこうに、そして不安そうな顔で全員手すりにつかまってしゃがんでいた。優秀だわ。
  • 揺れつつも階段を上がりきり、柱の近くで待機。
  • 園内に入るときに使ったエスカレーターは既に職員が封鎖していたので出口がなかったのよ。
  • その間にも受付後ろの水槽の水がユラユラと溢れそうに揺れ、すごく長い時間が経ったように思ったけれど、きっと1分もないんだろうな。
  • すぐ館内放送で「震源は東北です」と。え!東京でこんだけで、東北は大丈夫なの!?
  • 揺れがおさまってから、非常階段で出口へ。地上に出ると、水族園の入口前にある、浅い、水をたたえた場所の水があふれていたわ。見渡す限り海。津波、大丈夫か。
  • ドキドキしているしゆらゆらもしているし、パニックだったのでベンチでお茶を一口。
  • その後津波警報が出されたと車がまわってきて、公園内からすぐ出るように言われたわ。
  • みんなバスに列をなしたり、まだベンチで待機していたり、あわてていないのが不思議。
  • 私たちは、とりあえず北へ向かうことに。
  • 葛西駅
  • 葛西臨海公園駅は駅構内にも入れない状態、東西に電車(高架)、道路、高速道路が走っている状態で地理もなく、これをどうやって北へ行けるのか陸橋を探して歩く。 陸橋は、葛西臨海公園駅より西側にあった。 のぼっている最中に余震。 陸橋の揺れは最強。歩いていられなかった。 その後遊歩道みたいなところをずっと歩いて行って葛西駅へ。

  • 葛西駅
  • 地下鉄は丈夫だと聞くが、地上にあらわれている葛西駅で話を聞くと、不通。 駅でトイレだけ借り、東西線沿いに西へ、ひとまず東京駅を目指すことに。 葛西駅周辺は、遊歩道のレンガがずれたり、地下水が噴出していたり(後にディズニーの映像を見て、液状化現象だと知る)、被害があった。 ラジオを聞きながら歩いている人や、携帯で情報を得ている人もいたわ。 それで東北震度7と漏れ聞こえてきた。 7って何!最大じゃん!とまた興奮。
  • わたしもツイッターやらヤフーニュースやら、ワンセグ使いたかったけれど充電が心配でメールチェック以外は一切しなかった。
  • 東京駅へ
  • 葛西から西へ西へ、途中駅で運行状況などを聞きながら、ひたすら西へ。 川を横切る橋に来たあたりで、逆方向へ(きっと自宅へ)行く徒歩の人、チャリの学生などと多くすれ違う。 見晴らしのいい橋で、さっきいた葛西臨海公園の観覧車が見える。 お台場方面でグレーの煙がもうもうと上がっているのも見えた、きっと火事だ。 途中からヘルメットをかぶった人たちをよく見かける。 会社が早退させているのかどうなのか。
  • わたしは興奮しっぱなしでしゃべり続ける。
  • テレビが見たかったが、途中のヤマダ電気は店を閉めていた。そう、スーパーなどは結構店を閉めていた。でも、コンビニは開いていた。停電だったら閉まっていただろうな・・・
  • 門前仲町あたりで、猛烈に腹が減る、時間は忘れたがあんまんとサンドイッチを買う。肉まんは買えなかったけれど(直前で売り切れた)あんまんが買えるほどに普通だったのよね。誰もそこまで食料を求めていなかった。
  • 東京に近付くにつれ、人が盛りだくさんに。バスの行列もあったが、徒歩のが早かった。でも足はもう痛くてしょうがない。休みたいと提案したけれど「日のある内に行ける所まで行った方が」との友人のすすめで、休まず歩いた。あんまんも、歩きながら食べた。これは正しかったなと思う。
  • 永代橋、キレイだなと思いながら橋を渡った。キレイ過ぎて、写メなど湾岸に向かってシャッターを切る人もいたしわたしら人ごみの多さをおさめている人もいた。
  • 日本橋あたりは、ごっちゃごちゃ。東京駅までついた、まだ地下鉄は動かない。この時点で午後6時、3時間でついた。

  • 18:00 東京駅

新幹線が動いていたが、長蛇の列、こだまで小田原までとも思ったが、小田原からの足がない上、友人は東京、帰るアテがないので一緒にいることに。しばらく東京駅の地下街で休憩。トイレはものすごい並んでいた。

  • しかし地下街はほとんどのお店が店を早めに閉めた上、運行状況が一切伝わってこない。情報を求め地上に、するとJRは今夜見込みなしとわかる。それでも足が疲れ過ぎていたので少し休憩
  • 大手町へ
  • 復旧を待ちつつ、どうにか動き出した線を乗りついで会社へ。友人とは地下鉄車内で別れた。 地下鉄に乗ってオフィスへ

  • オフィス泊
  • 会社はテレビがついていて、ここで初めて映像を見た。なんだか意味がわからない映像が続く。津波がすごかったらしい。
  • 深夜、仮眠室を借りられる時間になったので借りに行く。
  • 先に体調不良で休んでいた子がいた。後輩の妊婦だ。そうか・・・妊婦もいるのよね、当たり前だけれど。
  • 眠れはしなかったけれど、横になれるだけで足がやすまった。疲れていたので洋服を全部脱ぎ、ババシャツだけで寝ていたけれどちょうど長野で大きな揺れが起こった時、館内放送で緊急地震速報があったとき、洋服を着るのに手間取ったので、それからは洋服を着たまま寝た。
  • 携帯の充電器を借りられたので、ワンセグで情報を得ながら、ツイッターで情報を得ながら、何が起こっているのか少しずつわかってきた。
  • その間にも緊急地震速報が何度となく鳴り、その度に出口確保のため仮眠室の個室のドアを開け、出入り口を確保、他の仮眠室に泊っている子らと少し話をして落ち着き、また横になる。休まらないが興奮状態なので仕方なし。
  • JRが7時頃動くかもというツイッターの情報を得て起き出す。
  • お腹がとても減っている、こんな時なのに。年末の差し入れでもらったカロリーメイトを食べ、執務室でテレビをつけながら東海道線再開の情報を待つ。
  • 7時になっても8時になっても再開しない。私鉄はたいがい動き出していて、部屋にはわたし一人。
  • 最後の常磐線待ちの上司は「7時に動き出すらしいから」と早々に出て行った。7時に動くかわからないし、きのうの東京駅の感じだと、動き出してもすぐはたぶん乗れませんよと忠告したが、家族が心配だからと帰って行った。
  • わたしは11日の夕方くらいまでに家族の無事が確認できていたので、遅くなってもいいから楽して帰ろうという気で、運行状況のリロードを繰り返す。
  • 9時まで待ってダメなら小田急で遠回りして、と思ったけれどちょうど東海道線が動き出した旨あったので、帰ることに。

  • 翌09:00 出発 丸ノ内線で東京駅へ。
  • JR東京駅の改札は「ピ」いらず、だれでも入れた。
  • 東海道線のホームは人でぎっしり、ちょうど電車がついたようだった。降りる人と、乗る人、ごった返していて危険。
  • 放送では「30分に1本の運行状況」と。これでは人が殺到するのも無理ないわ。1本見送ろうと思っていたのに、人の波に押され、満員の電車へ押し込まれる。ラッキーだったのかもしれない。
  • 東京〜二宮
  • その後止まりながら、踏切確認しながら、ゆっくりゆっくり、でも一歩ずつ家に近付いていき、晴れてぽかぽかしてきて、やっと安心してきた。
  • 到着
  • 地元の駅は普通すぎて、エスカレーターが止まっているくらいで腑抜けたわ。
  • 家に帰ったら、11日の朝発表の、簿記合格を知らせた母が「今日は寿司にするか!」と言っていた寿司が、ラップに包んで置いてあった。泣きそうになった。

お休みをとって二宮から遠く葛西まで遊びに行って地震に遭うとは。こういうケースもあるんですね。みなさんにお送り頂いたログを見てぼくが一番感じるのは「誰一人として同じ経験をしている人がいない」ということです。あの日、実に様々な物語があったのだなあ、と思います。

とても子細に描写されていて、文章も生き生きとしていて体験そのものもですが読んでいて手に汗握るものでした。ありがとう。

最後の一文は、ぼくも読んで泣きそうになりましたよ。