canadeN さんの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示
- 16:31 嫁より電話あり(会社電話)何度も電話かけたけれど、繋がらず、ようやく繋がったとのこと。嫁も無事、子供も保育園にて無事と分かったので一安心。
- 16:36 会社上司より安否確認の電話あり。このとき、京都駅にいました。
- 17:00 ぐらいに京都駅から新幹線に乗ろうと、京都駅に行きましたが、新幹線は止まっており、その日は、運休と分かったので、一緒に出張していた同僚の家に泊めてもらうことにしました。
- エクスプレス予約は、翌日からは予約可能だったので、18時ごろに、始発の次の6時03分発の新幹線を予約。その後、すぐに予約は埋まっていたので、よいタイミングで予約できました。
- 嫁とは電話は繋がらなかったのですが、twitter経由で互いの行動は把握。
- その後、twitterを常にチェックしながら、嫁とはやりとりをして、24時頃電話も繋がって、もうすぐ保育園につくという声が聞けました。
- 25時ぐらいに自宅について、水槽の水がこぼれている意外は被害なしとの連絡をtwitterで確認をして、僕も寝ました。で4時間ほど寝て、始発の次の6時03分の、のぞみに乗りました。9割ぐらいの乗車率だったように思います。
- 始発待ちの人で駅はにぎわっていました。
- 08:30頃品川着 品川から泉岳寺の駅まで、たくさんの人が歩いており、突然流れが止まる箇所がありました。500メートルぐらい列になっていたと思います。
- 泉岳寺 これは、駄目だと思い、もう一駅歩こうと思うと、別の乗り口は誰も並んでいませんでした。駄目もとで、そこに行くと、すんなり駅に入ることができ、改札で30分ぐらいまつと、電車に乗れました。進行方向と逆の乗り口には、誰も並んでいなかったのです。
- 大阪の友人宅から考えれば、5時間程度で帰宅。
- 駅の自転車置き場には、無数の自転車が残っていたので、まだ帰れていない人が多く、自分は運がよかったと思いました。
- 出張中で、家族と離れると辛いというのもありましたが、第一報時に家族の無事は分かっており、Twitter経由で、家族の行動も見えていたので、それほど心配ではありませんでした。嫁は、ほとんど、休眠アカウントだったのですが、twitter使ってくれてよかったです。
- iPhoneの電池切れは、いろいろ致命的になりそうなので、1日分のバックアップは常備していると安心だと思いました。
- 子供が保育園にいて、離れ離れになっている親は、やはり、なんとしても、家に歩いて帰ることになるかと思います。職住近接もありだし、保育園と職場の近接も大事かもしれません。
- 嫁は徒歩4〜5時間の距離を歩く覚悟で出発し、途中浅草線が走りはじめたので、浅草橋まではいけたみたいです。
- 保育園では、先生全員が残っていて、待っていたくれたそうです。感謝です。
ぼくにとって、このcanadeN さんのログにはいくつかとても興味深いポイントがありまして。もちろんひとつは遠方に出張していた先で地震に遭った、という点。「大阪の友人宅から考えれば、5時間程度で帰宅。」とあるように、都内のオフィスで一晩過ごした方と大して変わらない時間で帰っているのは驚きです。新幹線の強さを感じました。
もうひとつは、泉岳寺での「進行方向と逆の乗り口には、誰も並んでいなかったのです」というエピソード。当時を思い返すと、このくだりはすごく生々しいです。こういうささいだけど決定的な出来事があのとき、たくさんあったんだろうな、と思いました。
そしていちばんのポイントは、実はこのcanadeN さんが、ぼくが会社員だった頃の後輩であるということ。たくさんの方々から帰宅ログを送ってもらいましたが、やはり読んでいる時に顔が思い浮かぶ相手の文章は、また違う感慨があります。
ほんとうに無事で何より!
ニコ さんの帰宅ログ
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葛西臨海水族園で被災→葛西臨海公園駅(15時)→葛西駅→西葛西→東西線沿いずっと→日本橋から折れてJR東京駅へ18時着、トイレ、休憩)※ここまでずっと徒歩→(21時半)大手町より半蔵門線で三越前→銀座線で虎ノ門→会社、泊(22時半)、丸ノ内線霞が関(翌9時)→東京駅(9時40分発)東海道線で二宮着(11時50分)自宅までチャリ(12時着)でした。
女性のトイレが大変困ります、東京駅では30分くらい並んだでしょうか、行きたくなる前に、行けるときに行っておいて正解でした。
- 葛西臨海水族館で地震に遭う
- 午後お休みをして葛西臨海公園に遊びに行っていた。
- 葛西臨海水族園にマグロを見に行っていた。切り身の魚がたくさん水槽に投げ込まれ、びゅんびゅんとマグロ達が食いつく。食事が終わり・・・ってところで揺れた。ものすごい揺れた。
- 私はとにかく焦って、揺れている最中に家族に「無事!」とだけメールを送り友人にも「今すぐ実家にメールを送って」と促した。
- 揺れながらも階段を上るが、手すりにつかまってもぐわんぐわん揺れ階段上にいる幼稚園児達は、おりこうに、そして不安そうな顔で全員手すりにつかまってしゃがんでいた。優秀だわ。
- 揺れつつも階段を上がりきり、柱の近くで待機。
- 園内に入るときに使ったエスカレーターは既に職員が封鎖していたので出口がなかったのよ。
- その間にも受付後ろの水槽の水がユラユラと溢れそうに揺れ、すごく長い時間が経ったように思ったけれど、きっと1分もないんだろうな。
- すぐ館内放送で「震源は東北です」と。え!東京でこんだけで、東北は大丈夫なの!?
- 揺れがおさまってから、非常階段で出口へ。地上に出ると、水族園の入口前にある、浅い、水をたたえた場所の水があふれていたわ。見渡す限り海。津波、大丈夫か。
- ドキドキしているしゆらゆらもしているし、パニックだったのでベンチでお茶を一口。
- その後津波警報が出されたと車がまわってきて、公園内からすぐ出るように言われたわ。
- みんなバスに列をなしたり、まだベンチで待機していたり、あわてていないのが不思議。
- 私たちは、とりあえず北へ向かうことに。
- 葛西駅へ
- 葛西臨海公園駅は駅構内にも入れない状態、東西に電車(高架)、道路、高速道路が走っている状態で地理もなく、これをどうやって北へ行けるのか陸橋を探して歩く。 陸橋は、葛西臨海公園駅より西側にあった。 のぼっている最中に余震。 陸橋の揺れは最強。歩いていられなかった。 その後遊歩道みたいなところをずっと歩いて行って葛西駅へ。
- 葛西駅
- 地下鉄は丈夫だと聞くが、地上にあらわれている葛西駅で話を聞くと、不通。 駅でトイレだけ借り、東西線沿いに西へ、ひとまず東京駅を目指すことに。 葛西駅周辺は、遊歩道のレンガがずれたり、地下水が噴出していたり(後にディズニーの映像を見て、液状化現象だと知る)、被害があった。 ラジオを聞きながら歩いている人や、携帯で情報を得ている人もいたわ。 それで東北震度7と漏れ聞こえてきた。 7って何!最大じゃん!とまた興奮。
- わたしもツイッターやらヤフーニュースやら、ワンセグ使いたかったけれど充電が心配でメールチェック以外は一切しなかった。
- 東京駅へ
- 葛西から西へ西へ、途中駅で運行状況などを聞きながら、ひたすら西へ。 川を横切る橋に来たあたりで、逆方向へ(きっと自宅へ)行く徒歩の人、チャリの学生などと多くすれ違う。 見晴らしのいい橋で、さっきいた葛西臨海公園の観覧車が見える。 お台場方面でグレーの煙がもうもうと上がっているのも見えた、きっと火事だ。 途中からヘルメットをかぶった人たちをよく見かける。 会社が早退させているのかどうなのか。
- わたしは興奮しっぱなしでしゃべり続ける。
- テレビが見たかったが、途中のヤマダ電気は店を閉めていた。そう、スーパーなどは結構店を閉めていた。でも、コンビニは開いていた。停電だったら閉まっていただろうな・・・
- 門前仲町あたりで、猛烈に腹が減る、時間は忘れたがあんまんとサンドイッチを買う。肉まんは買えなかったけれど(直前で売り切れた)あんまんが買えるほどに普通だったのよね。誰もそこまで食料を求めていなかった。
- 東京に近付くにつれ、人が盛りだくさんに。バスの行列もあったが、徒歩のが早かった。でも足はもう痛くてしょうがない。休みたいと提案したけれど「日のある内に行ける所まで行った方が」との友人のすすめで、休まず歩いた。あんまんも、歩きながら食べた。これは正しかったなと思う。
- 永代橋、キレイだなと思いながら橋を渡った。キレイ過ぎて、写メなど湾岸に向かってシャッターを切る人もいたしわたしら人ごみの多さをおさめている人もいた。
- 日本橋あたりは、ごっちゃごちゃ。東京駅までついた、まだ地下鉄は動かない。この時点で午後6時、3時間でついた。
- 18:00 東京駅
新幹線が動いていたが、長蛇の列、こだまで小田原までとも思ったが、小田原からの足がない上、友人は東京、帰るアテがないので一緒にいることに。しばらく東京駅の地下街で休憩。トイレはものすごい並んでいた。
- しかし地下街はほとんどのお店が店を早めに閉めた上、運行状況が一切伝わってこない。情報を求め地上に、するとJRは今夜見込みなしとわかる。それでも足が疲れ過ぎていたので少し休憩
- 大手町へ
- 復旧を待ちつつ、どうにか動き出した線を乗りついで会社へ。友人とは地下鉄車内で別れた。 地下鉄に乗ってオフィスへ
- オフィス泊
- 会社はテレビがついていて、ここで初めて映像を見た。なんだか意味がわからない映像が続く。津波がすごかったらしい。
- 深夜、仮眠室を借りられる時間になったので借りに行く。
- 先に体調不良で休んでいた子がいた。後輩の妊婦だ。そうか・・・妊婦もいるのよね、当たり前だけれど。
- 眠れはしなかったけれど、横になれるだけで足がやすまった。疲れていたので洋服を全部脱ぎ、ババシャツだけで寝ていたけれどちょうど長野で大きな揺れが起こった時、館内放送で緊急地震速報があったとき、洋服を着るのに手間取ったので、それからは洋服を着たまま寝た。
- 携帯の充電器を借りられたので、ワンセグで情報を得ながら、ツイッターで情報を得ながら、何が起こっているのか少しずつわかってきた。
- その間にも緊急地震速報が何度となく鳴り、その度に出口確保のため仮眠室の個室のドアを開け、出入り口を確保、他の仮眠室に泊っている子らと少し話をして落ち着き、また横になる。休まらないが興奮状態なので仕方なし。
- JRが7時頃動くかもというツイッターの情報を得て起き出す。
- お腹がとても減っている、こんな時なのに。年末の差し入れでもらったカロリーメイトを食べ、執務室でテレビをつけながら東海道線再開の情報を待つ。
- 7時になっても8時になっても再開しない。私鉄はたいがい動き出していて、部屋にはわたし一人。
- 最後の常磐線待ちの上司は「7時に動き出すらしいから」と早々に出て行った。7時に動くかわからないし、きのうの東京駅の感じだと、動き出してもすぐはたぶん乗れませんよと忠告したが、家族が心配だからと帰って行った。
- わたしは11日の夕方くらいまでに家族の無事が確認できていたので、遅くなってもいいから楽して帰ろうという気で、運行状況のリロードを繰り返す。
- 9時まで待ってダメなら小田急で遠回りして、と思ったけれどちょうど東海道線が動き出した旨あったので、帰ることに。
- 翌09:00 出発 丸ノ内線で東京駅へ。
- JR東京駅の改札は「ピ」いらず、だれでも入れた。
- 東海道線のホームは人でぎっしり、ちょうど電車がついたようだった。降りる人と、乗る人、ごった返していて危険。
- 放送では「30分に1本の運行状況」と。これでは人が殺到するのも無理ないわ。1本見送ろうと思っていたのに、人の波に押され、満員の電車へ押し込まれる。ラッキーだったのかもしれない。
- 東京〜二宮
- その後止まりながら、踏切確認しながら、ゆっくりゆっくり、でも一歩ずつ家に近付いていき、晴れてぽかぽかしてきて、やっと安心してきた。
- 到着
- 地元の駅は普通すぎて、エスカレーターが止まっているくらいで腑抜けたわ。
- 家に帰ったら、11日の朝発表の、簿記合格を知らせた母が「今日は寿司にするか!」と言っていた寿司が、ラップに包んで置いてあった。泣きそうになった。
お休みをとって二宮から遠く葛西まで遊びに行って地震に遭うとは。こういうケースもあるんですね。みなさんにお送り頂いたログを見てぼくが一番感じるのは「誰一人として同じ経験をしている人がいない」ということです。あの日、実に様々な物語があったのだなあ、と思います。
とても子細に描写されていて、文章も生き生きとしていて体験そのものもですが読んでいて手に汗握るものでした。ありがとう。
最後の一文は、ぼくも読んで泣きそうになりましたよ。
サトコさの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車 出発地点と到着地点はてきとうです(もちろんプライバシー保護のため)] 大きな地図で表示
- 17:00 工場内設備の見回り後、職場を出る。
- 17:20 バスでJR辻堂駅着。
- 17:30 藤沢駅行きのバスを待つ間、一緒に待っていた知らない方と話す。
- 職場を出た後ひとりだったので話をしてすこしほっとした。
- バスがなかなか来なかったので、歩く。
- 18:00 この時まだ家族と連絡が取れず心細かったので、ちょうど前を通ったスーパーで、負けるもんかと、思い切ってお赤飯のおにぎりを買って食べる。
- 18:30 家族と連絡が取れてほっとする。足が痛くなってきたのでちょうど来たバスに5分ほど乗り、藤沢駅着。
- 18:40 大船駅行きのバスが混み過ぎていたので、歩く。
- 19:00 藤沢市高谷から先が停電していて、急に暗さと寒さでこわくなる。通り過ぎる車のライトを頼りに歩く。
- 19:10 武田薬品が全館電気がついていて驚く。歩道沿いの電気もついていてぐっと歩きやすくなった。疲れてきてまた心細くなってきたので「ここに勤めたい。勤めたらこんなだ。」ということを考えたりして元気を出す。
- 19:50 大船駅着。自宅近くまでのバスが混み過ぎていたので、歩く。暗すぎて違う街に見えた。
- 20:15 自宅着。
- 停電した道を歩く間、ライトがなくてこわかった。足元も見えず、向こうから来る人に自分の位置を知らせることもできない。チカチカする小さな明かりでも良いから持っていれば良かったと思う。
- 家に帰ったら家族がふつうにいたことに、とてもほっとした。ごはんがとても、おいしかった。
「お赤飯おにぎりや武田薬品のところがはずかしいです。でもほんとうに思っていたので正直に書きました」とコメント頂きました。はずかしいだなんてとんでもない!とてもすてきな描写ですよ。
暗い、とかひとりぼっちというのがいかに心細いか、ということを読んであらためて実感しました。逆に言うと、いかに普段そういうことを気にせずにすんでいるか、ということだなあ、とも。
あと「ごはんがとても、おいしかった」にじーんとしました。
entropeyさんの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示
- 16時頃:帰社後、バイト先にて鉄道の運行状況を確認。JR、地下鉄も当日中の復旧目処立たずという情報で自宅のある上石神井まで徒歩での帰宅を決意。
- 22時頃:汐留到着。大江戸線乗車。途中、新宿駅にて停止信号。都庁前駅にてホームに人が落下があり、安全確認を行っているとの情報。10分程度列車内にて待機。ラジオにて西武新宿線運転再開を知る。徒歩で東新宿→西武新宿、電車で西武新宿→上石神井へコース再び変更。
- 24時頃:上石神井到着。帰宅。
- 思ったこと:情報入手にラジオが非常に役立った。徒歩での帰宅は歩道が混雑していたが、大きな騒ぎなどが起こらず。安全に移動ができたことに感心した。
- 良かったこと:大江戸線を始めとする都営地下鉄の復旧が早かった事に救われた。過去に千代田区から上石神井まで徒歩で帰宅した(6時間)経験があったため徒歩での帰宅を決意したが、大江戸線の運転再開により身体的、精神的な負担が相当減った。
- 各鉄道の復旧時間に開きがあったことから、地震の影響を受けやすい路線、受けにくい路線についての要因を知りたくなった。
- 23区を結ぶ鉄道全線が運転見合わせになったのに係わらず、暴動や目立った犯罪が起こらなかった事について、誇りに思う。
- 最期に、被災地の方々の心の平穏が早く訪れる事を願うばかりです。
ぼくが今まで見た中で最も歩き回っています!これはすごい。ハンドルネーム通りエントロピー!「地震の影響を知りたく」ということでこのコースを選んだとのことですが、道中の様子をもっと詳しくお聞きしたいですね。
あのときはぼくもとにかく返ることに必死でしたが、いま振り返ると、これぐらい歩き回っても良かったのかも、と思います。
でも、なにごともなく無事に帰れて何よりでした!
ajicopepin さんの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示
- わたしは横浜在住なのですが、その日は厚木市で仕事をしていました。
-地震が来たとき、はじめはすぐ治まるかと静観していたのですが、揺れはだんだんひどくなるばかり。立っているのも辛くなり、しゃがみこんで様子を伺っていたら周りの皆が外へ移動し始めたので、わたしもそうしました。
- 普段、地震が起きても冷静なのですが、この時から泣きそうな気持ちを抑えるのに苦労しました。かなり揺れましたから…
- その後も何度か余震があるたび外へ避難しつつ、仕事していました。勤務終了後、本厚木駅までは会社の送迎バスで移動しました。それが20時40分過ぎくらい。
- 道を歩いている人はけっこういました。道路はそれほど混乱もしていなかったです。
- 本厚木駅についたのが21時30分過ぎだったでしょうか。駅についてから、ネットカフェに行ってみましたがやはり満室でした。
- 到着すると、思ったよりも人はいましたが混み合っているというほどでもない。
- すでに食事は済ませていたので、コンビニで飲み物(紙パックの1リットル入り)だけを買っていったのですが正解でしたね。避難所は暖房が効いてるせいもあって、空気が乾燥していたんです。水分をきちんと取ることで体力も回復しましたし、風邪予防にもなりました。
- 0時前には小田急線が復旧したと情報が入り、帰り始める人もいました。でもわたしは自宅最寄り駅まで帰れないのがわかっていたので、そのまま朝まで休むことにしました。
- なかなか寝付けなかったんですが、それでも3時間くらいは仮眠が取れました。
- 目が覚めたらかなり人は減っていたので、あまり長居しても避難所の職員さんの御迷惑になると考え「お世話になりました」と声をかけて退出しました。それが朝の6時過ぎでしょうか。記憶があやふやですみません。
- 横浜駅に着いたのは8時前だったと思います。ここから先はまだJRが復旧していないので、自宅最寄り駅である鶴見までは歩こうと思っていました。そのころ京浜急行線は復旧していましたが、混雑しているかもしれないのでやめました。
- 横浜駅からそごうへ抜けて、さらに横浜ベイクォーターへ。ベイクォーター前の大きな通りを歩けば、第一京浜にぶつかることは調べていたので、あまり迷うこともなく歩き始められました。第一京浜沿いを歩けば、鶴見まで帰れます。
- 途中、営業時間外にも関わらず開店しているスーパーを発見したので、カップ麺をいくつか購入。缶詰は重いし、他の人が購入することを考えて2日分くらいの量にしました。
- ホームは人もいなく、止まっていた電車も混んでいなかったので、ここからは電車移動に切り替えました。
- 鶴見に着いたときはホッとしました。何軒かお店に行き、買い物をしたのですがローソクは売り切れていました。最低限の食料を買い込み、無事帰宅。倒れてるものもなく、壊れてるものもなかったのが幸いでした。
- 今思うと、ネットカフェやホテルじゃなく、避難所に泊まってよかったと思います。安全だし、何かあれば情報が入る。人がたくさんいるというのが心強かったし、何より毛布の支給がありがたかったです。
- 朝まで避難所で過ごしたから、体力が少し戻った状態で行動開始できたのも幸運だったと思います。
- どうすれば良いか考える時間もあったし、いろいろ冷静に検討できましたから。
- それと、「こんな状況でも、自分の職務をきちんと行っている方々」の姿を拝見できたのも幸運でした。みなさんきっと帰りたいだろうに、でも投げ出したら国民の生活に支障が出る。だから思いやりと笑顔を忘れずに職務を全うしよう、そんな姿に励まされました。
- 不安な気持ちをガソリンに、自分の生活を建て直しつつこれからもがんばります。自分の頑張りが、日本を支えることになりますから。
すごく慎重に行動なさっているのが印象的です。すばらしいなあ、と思いました。文章から察するにお一人だったようですね。さぞ心細かったと思います。でもtwitterやmixiでのやりとりに助けられたというajicopepin さん、ネカフェじゃなくて避難所、というのもよかったですね。なにより「ひとがいる」ということの安心感を無意識にでも優先させているということもまた印象的でした。
@chigiradio さんの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示
- 埋め立て地だったせいか船のように大きく揺れました。さすがに落下物のなさそうな所に逃げましたが、揺れが収まったあとはみんな割りと平静でした。
- 連れを探しましたがメールも電話もつながらず電車も復旧の見通しが立たないということで徒歩で帰宅してみることに。
- 大震災時の予行演習だ、なんて思ってたのですがよく考えたらこれは本番でしたね。
すでに営業が終了。mapを確認できなくなったため基本地下鉄の路線をたどっていくことに。
- →21:00ごろ日比谷から内堀通りを永田町方面へ。「丸ノ内線が復旧しそう」との情報があったため、国会議事堂前駅に行ってみるがまだのよう。この時点で銀座線と大江戸線、半蔵門線や南北線の一部は復旧。
- →内堀通り、いや外堀通り?に戻って永田町から赤坂見附へ。車道は大渋滞。間違えて溜池山王方面に進んでしまったのでついでに赤坂見附駅に行ってみる。運転再開はまだ。
- →紀伊国坂を上って四谷へ。
- →四谷から新宿通りに入って新宿方面へ。
- →いいかげん疲れてきたので四谷三丁目駅に行ってみると間もなく運転再開とのこと。やった!
- →23:00四谷三丁目駅(丸ノ内線)意外と空いている。
- →23:30荻窪駅(徒歩)
- →0:00ごろ自宅到着
- 道に迷ったりコンビニ入ったりしながらダラダラ歩いてたので結局6時間ほどかかってしまいましたが、途中丸ノ内線が復旧したので本当に助かりました。スニーカーにリュックという歩きやすい服装だったのも幸いでした。
- やってみて思ったのは携帯の予備バッテリーor充電器は持ってた方がいいということですね。ネットにつながりさえすれば地図を含め帰宅に必要な情報はなんとか入手できますので。
- 帰宅者支援情報や電車の再開情報などをほぼリアルタイムで知れたのは大きいです。iphoneのmapもルート検索や自分の位置が表示されるので便利でした。
- 同様に徒歩で帰宅する人たちがたくさん歩いていましたが駅を含めて特に混乱もなく、都心をただただ人がぞろぞろ歩いてるという珍しい光景を見て不謹慎かもしれませんがちょっと面白くなってしまいました。
- あと、公共施設以外にも帰宅困難な方のため自主的に解放してくれていた飲食店や事務所などが築地本願寺はじめかなりの数ありました。
- コンビニや飲食店、小売店などもほとんどが冷静に通常営業してましたし。これは確かに日本人すげぇやって。イイネ!を100個くらいつけたい気分です(笑)。
- と同時に、駅自体を閉鎖してしまったJRの対応はいただけませんね。りんかい線はJRではありませんが同様の対応をとったようでビッグサイト最寄り駅の国際展示場駅も閉鎖されていたので、日も落ちてきて寒い中、混乱もないのに再開を待ってる利用者を閉め出すのかと嫌な気持ちになりました。
- ついダラダラと書いてしまいましたが、いろんな意味で興味深い体験ではありました。ただ、そんなことを言えるのも幸運にも自分が無事でなんとか帰る手段もあったからこそ、というのは身にしみて感じます。
- とりあえず被災された方々が少しでも早くもとの生活に戻れるよう、微力ながら自分にできることをやっていきたいと思います。
ぼくもそうでしたが、twitter、ほんとに役に立ちましたよね!
コンビニもふつうに営業していたのにはぼくもびっくりしました。「いいね!」押したいです。ほんと。
いちばん興味深かったのは「これを予行演習だと思って」という感想。他にも同じような感想をおっしゃる方がいて、ぼくも、歩いて帰らなきゃならないか…と覚悟したとき、ちょっとそんなふうに思いました。東京に暮らす人間がいかに「いつかやってくる」と覚悟しているかがよくわかります。
maruichino さんの帰宅ログ
[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] 大きな地図で表示
- 自宅は江戸川区瑞江、徒歩で2時間強(グーグル検索による)で帰れる距離でしたが、初めての夜道を歩いて帰るのに不安を感じ、明るくなってから帰ることを選びました。
- 途中で何かあってもいいように、水とチョコレート、バナナ、膝かけを持って乗りこみました。役立つ場面もなく無事辿り着けてよかったです。
- メールやツイッターで家族や友人と連絡を取り合ったり、情報収集できたこともとても心強かったです。
- 歩きやすい靴や服装、必要最低限の食料、携帯充電コードは職場に置いておこう!と固く心に誓いました。
- 会社のすぐ前が新大橋通りなのですが、夜遅くまで東へ向かう徒歩者と渋滞する車でにぎやかだったのが印象的でした。
以上、簡単ですみませんがお送りいたします。皆さんがどうやって帰宅されたのかぜひ知りたいですがまとめも大変だと思いますので、無理なさらないでくださいね。
まとめのお気遣い頂いて恐縮です。掲載するのがとても遅くなってすみません…
職場にとどまることで、余震の不安も軽減されたとのこと。そうなんですよねー。ひとりが一番こわいですよね。今回のことでそれを痛感した人も多いと思います。
あと「携帯充電コードは職場に置いておこう!」も、まさに。地震以降、こういうモバイル周辺における予備が充実した人おおいんじゃないかなー。
ともあれ、ご無事で何よりです!