@naka77764 さんの帰宅ログ


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  • 1. 職場と家が離れているので早々に家に帰る事をあきらめられたことは結果的に良かった
  • 2. オフィスは電気と水道が通っていたので、ヘタに外に出るよりココに居た方が良いと判断して良かった
  • 3. JR宇都宮線は12日も不安定な様子だった。余震が続いていたのでうっかり乗って閉じ込められるくらいならビジネスホテルが良いと思った。ベッドで眠れて体力回復できた
  • 4. 職場に中国の人が数人いて、みんな本国の家族とはスカイプで連絡を取り合っていた。携帯がつながらなくて四苦八苦してる私(au)なんかよりあっさりつながる。凄いと思った。いざと言うときの連絡手段はいくつか確保しておいた方が良いのだと思った
  • 5. Webを使えるか使えないかが生死に関わる事になった天災になったのでは?と思った
  • 6. 11日職場の同僚があの一番大きな地震が収まった後、食料を買いに走った。おかげでその日はみんな空腹になる事なく職場で夜明かしできた。あの行動は次自分が見習おうと思った。
  • 11日にオフィスビル(バブル前の建築物?)で、12日の昼に日本橋のマンダリンホテル38階で、12〜13日に日本橋付近のビジネスホテルで、それぞれ余震を体験して思ったのは「よく考えると当たり前なんだけど、逃げ場の少ない都市部で働くならオフィスに堅牢な作りの建築物を選ぶしかないのでは」ということ。
  • オフィスビル(5F)よりマンダリンホテル(38F)やビジネスホテル(6F)の方が断然安心感があった。余震の感じ方が全然ちがう。
  • オフィスビル(5F)→窓や建物全体がガタガタッていってゆれてとにかく不安を煽る
  • マンダリンホテル(38F)→目の前の花瓶が「ああ、ゆれてるな」と感じる程度。音はしない。
  • ビジネスホテル(6F)→ゆら〜…ゆら〜…とゆれる感じ

(この辺は完全に主観&日時の関係もありあいまいかもしれませんが)

  • すぐに外に出られる訳でもない。指定避難所の学校等もオフィス街の間を縫って少し歩かなければならない。しかも当日は寒い冬日。こうなるともう暖をとっておとなしくしてるしか選択肢は浮かばなかったです…。

急いで帰る必要がないのであれば無理に帰宅をあせらない方がよい、というのが今回のぼくの実感なんですが、それにしても2泊とは!いままでの中で「落ち着き最高記録」です@naka77764 さん。

建築によって揺れ方や安心感が違う、という指摘は他の方からあまりいただいていないので新鮮でした。

それにしても、ご自宅が65kmも離れているとこうまで肝が据わるものですね。ざっとみなさんの帰宅ログを見ると、20km前後の方が「歩けるかも?」って思ってたいへんな目にあっている、いちばんやばい距離な気がします。

@saralin さんの帰宅ログ


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  • 大崎駅で停車中の「山手線の電車」の中にいました。
  • 大崎ーバスー渋谷ー青山高校で仮眠ー青山一丁目ー東京ー後楽園ー東川口ー浦和
  • 持病の薬が欲しかったので、3時前に、大崎駅から渋谷駅行き東急のバスに乗る。
  • 渋谷駅到着は4時半頃。クリニックと薬局で薬は入手できたものの、池袋行きのバス待ちの行列で無理だと判断し、テレビのある店に待機。
  • 23時半過ぎ、女性数人で青学に向かうも、既にいっぱいで再度移動。都立青山高校で仮眠させていただく。
  • 12日 7時過ぎ、青山高校を出て、地下鉄で東京駅へ。人の多さからJRでの帰宅を断念。
  • 都立高校の先生方のご苦労には頭が下がります。本当にありがたく思っています。
  • よかったこと:当方女性であり、単独で動かなかったこと。ペットボトルの水を確保したこと。ツイッターで夫と連絡が早めに取れたこと。持病の薬を持ち歩いていたこと。
  • ああすればよかったな、ということ:携帯の充電は常にしておくこと。充電パックを持ち歩くこと。家族の携帯番号などは手帳に控えておくこと。
  • 家に帰りつくまでは気力で何とかしましたが、一日経ったら怖くてたまらなくなりました。もう二度と経験したくないです(余震への備えはしたつもりです)。

「一日経ったら怖くてたまらなくなりました」というのが胸に響きました。ほんとうにお疲れさまでした。ご無事でなによりです。

無理をなさらずに、あれがだめならこの手、といろいろな手段を利用されていたことが非常に印象的です。ぼく自身は避難所を利用するなどまったく選択肢に入れてませんでしたが、そういう「なんとなく『それはないなー』って思い込んでしまう」ということは危険かもしれないな、と思いました。

あと、@saralin さん以外にも、何人かの方々が持病をお持ちという事情のなかでがんばって帰宅されていました。幸いそういうことのない自分の幸運さにはじめて気づきました。おはずかしい。

@momojiro_ さんの帰宅ログ


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  • 職場指示で17時30分まで避難場所(学習院大学)に避難。帰宅経路によって班分けされ待機。
  • 各リーダーの判断で帰宅することになったがどうするのか決まらないまま19時を過ぎる。
  • 体力的に自宅にたどり着けるタイムリミットを超えたと判断し避難してよいと申し出てくれた友人宅(落合南長崎駅近く)に徒歩で向かう。確か19時20分頃と思われます。
  • 多くの人が歩いていて心強かったのと、休んでくださいという張り紙の店舗が何メートルかおきに点在していたのに助けられました。
  • 道路は渋滞しており、目白通りで友人宅方向の路線バスを4台抜きました。
  • 途中の山手通り、新目白通りとの交差点では相当数の人と遭遇しました。
  • 暖をとりながら40分程度で友人宅に到着し一泊しました。
  • 半蔵門線田園都市線利用者が多いのでは、と銀座線にしたのですが上野駅で混雑しているとの事で15分くらい止まっていました。
  • 渋谷駅からの東横線はそれほど混んでいなかったと記憶しています。
  • 社員の安全なども考えてくれたのでしょうが、判断待ちの時間が長過ぎました。日のあるうちに行動させて欲しかった。たった3キロでも風が冷たく、相当つらかったです。
  • また、ケータイの充電器をたまたま持ち歩いていた事や、職場の固定電話を使わせてもらえたこともラッキーだったようです。
  • 避難先の友人は別の友人にも声をかけていたのですがやりとりの最中に電池がなくなり、池袋で夜明かししたそうです。

詳しい状況がさだかではないのですが、職場のリーダーの判断が遅くなって陽が暮れる前に行動することができなかった、というのは問題ですね。よく言われることですが、こういう非常時に誰かに「判断させる」というのは危険だと思います。ほかの職場の方々はどうなさったのでしょうか。今後の対策としてちゃんとフィードバックされたのでしょうか。気になります。

この「帰宅ログ」を募って、現時点でぼくが意外に思ったのは、この@momojiro_ さんのように、知人・友人のお世話になった、と言う方がすごく少ない、ということ。まあ、ぼく自身もそうしなかったわけですが。

単純に、都心圏に居を構える知り合いが少ない、ということもあるでしょうが、思うに「いきなり人の家を訪ねる」ということの心理的ハードルのせいもあると思います。他の国・文化圏だったらどうなのだろう、と思いました。

@seibu2000 さんの帰宅ログ


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  • 高田馬場から東村山まで。途中田無から復旧した電車に乗る。7時間歩いた。
  • 今回、高田馬場駅付近から、地元方面に向かうお年寄りの方たちを連れて地元まで送ることにしたのですが、会社帰りの人のかばんが人に当たって危ないと思いました。歩道が狭いので、抜かされるときにどうしても当たってしまいます。
  • また、車道も渋滞していて、歩いて車を抜かせる状況でした。反対側の車線には、都心に向かう回送のタクシーが渋滞していて、お年寄りを連れていた側としては、途中からでも乗せてもらいたいという気持ちでした。
  • 途中のコンビニでは、食品類(特にあったかいものと持ち運べるもの)が売り切れていました。こういう食品類の輸送のためのトラックも渋滞に引っかかっていたので、不便だと思いました。
  • 走って僕たちの集団を抜かしていく人がいたのですが、その人たちは疲れて、先の公園でダウンしているということもありました。走るより、地道に歩いて体力を消費しないように歩くことが重要だと思いました。あと、話しながら歩くということで、精神的に疲れさせないようにすることが大変でした。
  • 昨日も今日も筋肉痛です。ちなみに、7時間(高田馬場→田無)お年寄りと歩きました。話しているうちに、家の近くに住んでいることがわかったので、思い切って昨日訪問してみたのですが、元気そうでした!
  • 今回の地震で、鉄道ヲタクも悪くないなと(笑) 自分自身、鉄道が好きで、電車を撮りに(高校生でお金がないので)自転車で遠くまで行くことがあるのですが、そのとき使った道路が役に立ちました。また、運行再開の情報もすぐに手に入れられ、雑学も役に立ちました(笑)
  • まさか、高田馬場駅で隣にいたおばあちゃんが東村山に住んでいるとは思いませんでした(笑) 日本も狭いもんですね(笑)

すばらしいです!おばあちゃんもさぞかし心強かったことでしょう。しかも、翌日様子を見に行っておられる!ほんとうにすばらしい!

ご自身で「鉄道ヲタクも悪くない(笑)」とおっしゃってますが、あの日、ぼくも鉄道趣味の方々に助けられました。主にtwitterで鉄道の運行状況情報収集していたのですが、いろいろな未確認情報が飛び交うなか、タイムライン上の鉄道好きの方々が冷静にそれらを吟味してRTしていたのが、非常に心強かったです。

ぼくが今回得た大きな教訓のひとつが「鉄オタが友人にいるかどうかは、災害時にとても重要」ということ!いや、まじで。

@freeasa さんの帰宅ログ


[凡例:ピンは・赤:出発地点、青:経過地点、黄色:到着地点 ラインは・赤:徒歩、青:公共交通機関、紫:自家用車] @freeasa さん を表示

  • 被災後しばらく事務所で待機、帰宅許可がでた16時すぎから徒歩で帰宅開始。
  • 東京ポートボウルの横を通って第一京浜に出る。そのまま道なりに歩き、新橋駅の高架をくぐって昭和通りに出る。
  • 17時15分ごろ、東銀座の駅前交差点でお茶とチョコで一休み。会社からの安否確認メールに返信。
  • ここらへんから歩道を歩く人も増えてきて、太い道路が歩きづらくなったので昭和通りから一本海側の細い道を歩く。
  • 宝町で永代橋方面の矢印を見たので、そこから八丁堀を通って永代橋へ。
  • 17時45分ごろ、永代橋が見えたあたりで渋谷にいた主人から奇跡的に着信、話す。
  • 永代橋付近は双方から渡る人がごった返した状態。日が暮れて気温も下がってきたので皆早足。
  • そこから三ツ目通りに出て自宅マンション着。18時45分ごろ。
  • エレベータが止まっていて、5階の自宅までひぃひぃ言いつつ上がる。
  • ガスが止まっていたが、復帰動作で問題なし、家の物もずれたり落ちたりした程度で被害はCDケース1枚が割れた程度でした。
  • 以前からgoogleマップでどういうルートで帰るか考えていたので、今回はほぼ理想的なルートで帰れました。(最短距離は竹芝から勝どきまで泳いで清澄通りで帰ることですが、それはさすがに無理ですね)
  • たまたま楽なパンツスタイル&ぺたんこな靴で出かけていたので歩いて帰れましたが、ヒールのある靴だったら途中でめげていたことでしょう。もっとスピードも落ちて冷たい風で体力を消耗していたと思います。
  • 会社に常備していたチョコと、会社の自販機で買ったペットボトルのお茶、充分な充電のiPodにたくさん入れてあったPodcastが心の支えでした。
  • 新橋から家の前(三ツ目通り)を通るバスもあったんですが、あまりにもぎゅうぎゅう&並んでいて諦めました。後で2時間も3時間も並んだと聞いて、17時以降の気温低下を考えると気合で歩ききって良かったと思いました。
  • ゆがんだ地面を避けて歩く人波と、カフェでくつろぐ人や開店する居酒屋のコントラストが印象的な一時でした。
  • また途中のドンキで自転車がバカ売れ、ゴルフショップでは靴がバカ売れしていて、ビジネスチャンスとはあらゆるところにあるもんだなあとも思いました。
  • 割れたガラスや火事の影響がなかったので徒歩で帰宅できましたが、帰路で別の災害にあっていたら、と後から怖いなと感じました。

「以前からgoogleマップでどういうルートで帰るか考えていた」とのこと。すばらしい!ほかにも食べ物や飲み物、充電など、すごく落ち着いて臨んだ様子がうかがえて、感心しました。

あと、ほんと、東京湾を渡れたらどんなに楽か!友人の"BOAT PEOPLE Association"が2010年にBO菜というプロジェクトイベントを行ったことがありまして。地震によって東京のライフラインが遮断され、陸上交通が途絶えたことを想定し、船と水路によってそのリカバーを行う、というものでした。今回は津波の印象が強いので、なかなか水面を利用するのには抵抗があるかもしれませんが、これ、真剣に検討したほうがいいですよね。

@no23_ti さんの帰宅ログ


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  • 品川区の職場で地震に遭う
  • 3:00〜7:40 川崎のファーストフードでご飯、鶴見でトイレ。
  • 経緯は職場の仕事が 2:30(深夜) に終わり、当初は夜明けまで待つつもりだったが、職場は高層ビルなので余震だけで長く揺れ続けて気分が悪かった。留まるにしてもビルの中は嫌になった。
  • 一部私鉄と地下鉄も動いているし、職場から歩いて帰る人たちもいて、大丈夫だろうと外に出て様子を見たところ、気温は思ったより高く、車も多く走ってて歩いている人も多くいたので、私も決行しました。
  • もし、危険な状態になったらタクシーを拾うことにした。それもダメそうならコンビニ・ファーストフードなどで時間を潰そうかと思ってた。それらも開いてないか非常事態になってたら避難所へ行くか職場に戻るつもりだった。
  • よかったことは自分の今の体調でどれだけ行動できるかがわかった。最悪、移動手段がなくなってもそれぐらいは楽に移動できるってことが知ることできてよかった。
  • ネットの知り合いとかはやめておいた方がいいと言ってたし、本当は災害時に夜出歩くのは危険だけど、自分がいたところは上記通り穏やかだったので二次災害や暴動の危険性がないならやっておいてもいいと思う。
  • アミノ酸クエン酸を取っておけば筋肉痛が軽くなるから帰ってから飲んでおいた。飲むのと飲まないのとでは痛みや疲労度が違う。
  • 悪かったことはお腹が空いていたので多めに食べたら便意が一気に来た。次からは移動中は少量の食料だけにして目的地に着いてから多く食べるようにしようと思った。
  • 職場で携帯で情報ばっかり見ていたために電池が少なくなっていた。こういう場合で電気が供給されている場合は携帯は常に充電しておくべきだと思った。
  • マイルストーンというか、ある地点についたら地震や体調も考えて小休止なり続行するしないの判断をしようと、区間を分けて行動することにした。今回は蒲田・川崎・鶴見とマイルストーンを置いてみたが地震・体調とも大丈夫で小休止も必要なかった。
  • 私自身には必要なかったかもしれないが、慣れてない人と歩く場合にもそうやってみようかと思った。

「自分の今の体調でどれだけ行動できるかがわかった」というのは、ほんとうに大事だと思います。みんな、今回のことを機に、いちど落ち着いて歩いてみたほうがいいです。ほんとに。案外自分のことがいちばん分からないものです。

「悪かったことはお腹が空いていたので多めに食べたら便意が一気に来た」も深刻です。ぼく自身もこれがいちばん心配でした。もともとお腹弱いので。

それにしても「ビルの中は嫌になった」と、22km歩くのはそうとう勇気がいりますよね。ご無事でなによりでした。お疲れさまでした!

@misatomisato さんの帰宅ログ


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  • 18時半 神泉(自社)
    • (待機)
  • 7時ごろ 渋谷駅
  • 地震直後、出向先での仕事はリリースとなったため、自宅までの道のりをgooglemapで検索。
  • 道順は六本木通りを渋谷方面へ向かって行き、国道246沿いに進めば良いとわかっていたため、徒歩での時間を調べると、3時間15分ほどと出ていたので、17時ごろに徒歩での帰宅を決意。
  • しかし、渋谷に付く頃にはすっかり寒くなっていたのと、渋谷駅周辺の混雑にあっとうされ、帰宅を断念。自社が神泉付近にあるため、自社にて一夜を明かしました。
  • その後、翌朝7時ごろに東急田園都市線を利用して帰宅。電車は混雑もなく、スムーズに帰宅できました。
  • とにかく一人は心細かった。当初3時間歩くつもりで居ましたが、暗くなり、寒くなってくると、一人で歩いてかえるのは精神的にムリでした。

「とにかく一人は心細かった」とおっしゃっています。ほんと、今回のことで知り合いが一緒にいることのありがたさをみなさん痛感されたようです。あの夜の、渋谷を初とするターミナル駅周辺の尋常ではない混雑ぶりはいろんな方から聞きました。主要駅には近づかない、というのは覚えておきたいです。

@misatomisato さんのケースでとても印象的なのは、出向先からの帰宅という点。最終的には自社のオフィスに戻られて朝をまっておられますが、出先のオフィスって居づらいですよね。派遣さんなど、自分のオフィスでないので待機できない、という状況はちょっとどうにかしたほうがいい問題なのではないか、と思いました。